「母体の山形屋デパートから生まれ、創業したのが昭和44年、谷山店からスタートし、西田店、城西店と続き、さらに山の手に出店が拡がり、原良(現明和)店や紫原店ほか、現在県下や宮崎市内の21店舗で商っております!」
そう話すのが、山形屋ストアの取締役商品部長兼コンプライアンス担当部長の松下久宣さん。
さらに、松下取締役は、「平野が少ない鹿児島は、山を削り団地を開発せざるを得ず、団地が開発される度に、団地を中心とした住民の皆様の台所や暮らしを支える山形屋ストアは中規模店舗を中心に出店を拡大し、その後店舗の統廃合を経て、現在精鋭21店舗で営業中。中でも最大の売り場面積を有するのが昭和63年に開店した皇徳寺店です。最近は大型の他スーパーなど数多くの出店があり、さらに家電業界や酒類量販店も生鮮食品を扱う昨今、市場のパイがかなり小さくなっており、経営が一段と難しくなっていますね!」と、語る。
また、松下取締役は、「きれいな店作りほか経営方針そのものは本体の老舗山形屋デパートと全く同じですが、厳しい経営環境の中、ストアのあり方はどうあるべきか、いいものをどれだけ提供できるかという課題に応じつつ、地産地消的な方向を商いの中にどう取り組んでいくのかが課題です」と、最近の経営課題について触れる。
つまり、産地に直接出向いて、安全・安心を確認しながら、できるだけいいものを仕入れていこうという動きになり、これは当然、生鮮3品など中央卸売市場からの仕入れのあり方、日々の生鮮品の量的な確保の問題にも関係しているようだ。
最近の、青果市場の変化について、松下取締役曰く「青果市場での仕入れ状況については、低温売場の増床により、軟弱野菜、いちご、ブドウ、モモなど低温冷蔵庫内での競り売買が可能となり、鮮度向上や鮮度維持の面で大幅な改善がみられます。
しかし、現在の朝7時からの競り開始時間では、各種施設・学校・病院等の納め物専門業者や開店を早めざるを得ないスーパーやストア、遠隔地の小売業者など、各業者の物流システム上、時間的に間に合わないケースが多く、加えて相対商品と競り売り商品とが明確にされていないようなことなども影響し、畢竟、先取り(前取り:登録売買参加者が競りを経ずして、競りの前に必要な入荷物を先取りし、後で競り値より少し高めで決済する手法)が多くなっていますね」。
さらに、「実際の競りの時間帯には、青果物の種類、量ともに品薄になっている傾向が見受けられ、極端に早い夜明け前からの先取り業務を競わざるを得ない売買参加者の過酷な日常業務を、少しでも和らげる意味でも、逆に公式な競り開始時間を早めることが、青果市場内での公正な競りによる潤沢な商品仕入れの実現や市場システムの改善に繋がるかと感じています」と、山形屋ストア青果部の意見をまとめる松下取締役。
また、松下取締役は、「消費者であるお客様の生活防衛の感覚が鋭くなる中、安心・安全をどう提供いくのか、さらにお客様の普段着の部分を大切にしながら、暮らしを豊かにできる『ちょっといいもの』をどう提供していくのか、知恵を絞っているところです!」と話し、さらに老舗山形屋のカンバンを有する山形屋ストアならではの、行き届いたサービスの実現に腐心している模様。
山形屋ストアの顧客の目線に立った、鹿児島の中央卸売青果市場に対するリクエストとして松下取締役は、「全国で生産される質の良い安心・安全な青果物が、さらにどしどし入荷することを私どもは願っています。全国の主要産地から一番遠いところに位置する鹿児島ですが、物流コストの削減など知恵を絞り、特に鹿児島の夏場の野菜不足などを充分に補い、安定的な青果物の供給を通年で確保することは中央卸売市場の使命かと思います。食材王国南九州をしっかりと支えられる中央卸売市場機能であって欲しいと常々願っております」とのこと。
一方、取締役で開発部長を務める福永孝一さんは、「昭和40年代~50年代は、鹿児島市の人口が郊外に団地を作ることによって増えていった時期で、郊外の団地への出店競争がメインでしたが、現在は団地の方々も高齢化が進み、逆に街中への移転などで団地の人口が減りつつあります。
少子高齢化が進む中、車での買物が無理になったご高齢のお客様のためのサポートなど、今後は郊外店を中心とした新しいサービスのあり方を開発すべき時期が到来しており、目下様々な観点からの新サービスや対策を徹底して研究しているところです!」と、山形屋ストアの新しい取り組みやテーマについてコメント。
いい意味での中央卸売市場、青果業界のご意見番として、今後も益々、山形屋ストアの元気発信!を続けてもらいたいものです。