「先立った夫・的場栄吉が、阿久根から出てきて、鹿児島港近くにあった東桜島農協内で青果業を始めたのが昭和28年のころ。桜島から仕入れたみかんを10人くらいのパートのおばさんたちに箱詰めをしてもらい、沖縄に送り出していましたね。当時の沖縄発送には、貿易決済用の信用状・エルシー(L/C)がまだ必要なころで、私は当時の住吉町の中央卸売市場内仲買(仲卸)の烏帽子(えぼし)商店に勤めており、仕入れのために毎朝各仲買を訪れる夫と市場内で知り合い、結ばれました!」と照れくさそうに笑うのは、現店主・的場モリ子さん。
「夫が病に倒れ、他界したのが昭和58年。その10年くらい前から長男・博志が千葉の会社勤めを辞めて店を手伝っていましたが、その息子も平成21年に男盛りの55歳の若さで病を患い、先立ちました!」と夫と子息との別れを静かに語る店主モリ子さん。
今は、夫・栄吉さんが健在のころから共に働いてきた、モリ子さんの実弟・山本義治さん夫婦と3人で、徳之島など離島方面の卸や送り、永いお付き合いのある沖縄への送りなどのほか、市内の卸配達業務や小売に追われる毎日。
「夫が元気なころは、沖縄への送りが息子の時代の倍近くあり、息子も沖縄向けの発送業務を中心に、よく頑張っていました。息子は、鹿児島実業時代はサッカー選手で、サーカーの審判員の免許も取り、帰鹿後、青果業の合間をぬっては、大龍小の小学生などにサッカーを教えるくらいの、根っからのスポーツマンでしたね!」とモリ子さんは懐かしむ。
平成14年に現易居町の店に移転してからお客様の要望で、店頭での小売も始め、現在では、ポンカンやタンカンの時期など、小売もかなり忙しくなるようで、小売にも力を入れている模様。
まだ外は暗い早朝の中央卸売市場内では、納め物用の大きな桜島大根を選んでは抱え運び、様々な青果物を台車に載せてゆっくり押していくモリ子さんの姿を毎日見かける。
霧島山も近い栗野(姶良郡湧水町)生まれだと語る店主モリ子さんのどこからそんな元気が出てくるのかと問えば、モリ子さん曰く「私は仲間のいる市場に行くのが大好きで、生き甲斐みたい! 趣味などもあらゆることに関心があり、よく歩くことから山登り、卓球、ボーリングなどもやりますし、スポーツ観戦も大好きですし、いろんな友達3組とそれぞれ月1回の食事を楽しみ、国内旅行はもとより海外旅行なども友達と連れ立ってよく行きますね!」。
趣味でもバイタリティー溢れる市場の女性・モリ子さんが、元気な時代の夫や子息とともに培ってきた青果物の地方発送は、現在も数十年来の固定客からの依頼が多く、ほとんどお任せの電話やファックスの依頼のみ。
「夫の時代から、市場でもとくにいい品物にこだわり、馴染みのお客様の信頼を裏切らない商品の発送を、日々心掛けてきました!」と店主モリ子さん。
中央卸売市場内で早朝から生涯現役の気合で凛として働く女性たちからも、何かと相談を受けることも多いモリ子さん。良き聞き役・重鎮として、的場商店店主・的場モリ子さんの益々のご活躍に期待したいものです。