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北野商店

「ただいまー!」

「はい、おかえりー!

草牟田一丁目の北野商店にお伺いし、奥の事務所で店主修さんと子息の剛さんにインタビューをしている最中、店内で賑やかな声がしたかと思うと、トコトコとお孫さんらしき小学生が奥に入ってきてご挨拶!
 
  思わず「おかえりー」と筆者も声が出てしまうくらいの自然な光景で、あとで聞いてみてびっくり!

何とお孫さんではなく、近所に住む子供たちとのこと。5~6年前、近くに新しいマンションが建ち、そこに住み始めた十数人の子供達が朝夕店を訪れ、奥様のなぎささん、剛さん、修さんそれぞれにかわいらしく大きな声で挨拶をし、夕方の挨拶のあとはご褒美の飴玉を一個もらって帰るとのこと。

まるで映画『三丁目の夕日』のワンシーンを見ているような懐かしい雰囲気。

店主の修さん、曰く「昔はみんなこうでしたよ。どこの子どもはどんなだとか、あすこのおじいちゃん・おばあちゃんがこうだとか、商いをしているお店が情報交換の拠点として機能していて、街の人々が声も掛けないようなさみしい独居老人など、昔の街には存在しなかったですよ」。

奥様のなぎささんも、「ご挨拶できたら飴玉一個だけだよ。ほかの商品はもらえないんだよ!と小学2年生の子が、1年生の子達に教えるようなこともあり、街中のお店を介して地域の子供たちがコミュニケーションの時間を持ってくれることが嬉しい!」と語る。

「青(果)物は、今日はあっても明日はない世界なので、とにかく今日の仕事を精一杯、楽しくやる!」こと、「暇だ、暇だと決して言わない!」こととする北野商店のモットーは、市議会議員など3期務めた偉大な創業者で組合初代理事長だった永(はるか)さんから、2代目の修さん(組合副理事長)に受け継がれ、3代目剛さん(2年前耕運機会社ディーラーを辞し、実家の青果業を修行中。組合青年部会計担当)に引き継がれようとしている。

「人間が生きるに一番必要な営みとして農業があり、その農業の産物である大切な青果物を扱う八百屋を絶対に途絶えさせたくない!」と語る奥様のなぎささんは、「青果業に誇りを持っています!」ときっぱり!

少子高齢化が進む青果業界の中では、大半の方々が「青果業は私ども夫婦一代限り!」の声が圧倒的多数の中、久々に心強い話を拝聴。

毎朝5時20分には中央卸売市場に到着する父子の仕入れの役割分担は、小売り用の青果物を子息の剛さんが受け持ち、父修さんは専ら業務用納め物の青果物を担当。

市場に出向くようになって3年目に入り、年間を通じ中央卸売市場に荷受される青果物の流れをしっかり掴む修業に励む剛さんは、まだ競りの技術は教わっていないとのこと。 

市場では恩師でもある父修さんは、「私の納め物の仕入れ方を覚えてもらう傍ら、小売り用の品は息子に好きなようにやらせています。小売りは、気に入ったものがなければその日は仕入れないというやり方で、品物に徹底的にこだわる北野商店の伝統的な仕入れ方を学びながら、自分のカラーを出そうとしているようですが・・・・」と目を細める。

草牟田町の馴染みの固定客がメインとなっている日々の商いで、「いいものが揃っている北野商店」の従来のコンセプトに加えて、「いいものを出来るだけ安く!」と新機軸を打ち出し、店頭の品揃えと定価付けに一工夫を加えた3代目剛さんの努力の甲斐もあり、僅かながら売上伸張に貢献し始めている模様。

「納め物を扱いながらも、お客様とのコミュニケーションが中心となる小売りが主力!と昔から店の軸足を定め、60年間も親しんでいただいている草牟田のお客様に対する感謝の念は絶えません。売上よりも地元のお客さんに喜んでいただけることのほうが大事!」と店主修さんは明快に語る。

また、「うちは茶一杯(ちゃいっぺ)の会話や子供達との交流など、非効率な手法で商いを続けていますが、お店のカラーをしっかり打ち出せば何とかなると思っています」と、地元住民の生活情報交換の拠点としての役割をしっかり果たすことに使命感すら感じさせる店主の言葉に揺るぎはない。

現在29歳の3代目剛さんも「八百屋一本でやって行き、自分が70歳となったころ、組合と北野商店の100周年を是非実現したいし、その過程で、自由に何でもやってみたい!」と、目を輝かす。

取材の日は、北野商店の4代目として創業150周年を支えるかもしれない3人目のお孫さんが誕生し、梅雨空を吹き飛ばすような笑顔が溢れていた北野商店の店内!

「地元の子供たちや親御さんたちと心が通い、愛される八百屋さんでありたいし、地域の子供たちの心の故郷になれるような店でありたいと思っています!」と、奥様のなぎささんから貴重なまとめの言葉をいただけました。