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フラワーフルーツ

店主・川瀬清一さんは昭和26年蒲生生まれの69歳。カラオケが大好きで長渕剛の「とんぼ」をよく唄う。35歳のとき一念発起、現・玉里団地で青果業を始め独立。

その直前まで、伊敷団地で産廃業を営む姉の会社にサラリーマン10年間勤務し、様々な重機に乗り、現場監督を経験。当時、玉里団地に積もる桜島の降灰を回収に訪れる度に、「青果と花」を扱えば当たるのではないかと直感し、店舗を探していたという。

創業のころは新参者として、商店街の古参たちに取り付く島もなく、通路にはみ出すほどのがむしゃらな店舗営業を展開し、通り会の批判を浴びることもあったとか。

当時から始まった町内会の踊りビッグイベント「夏祭り」(毎年8月第1土曜日開催)も今年で25回目を迎え、今では商店街のキーマンとなった店主も町内会長さんほかと綿密な打合せや準備に大忙し。

「青果業をやれば当たる」と当時直感したのも、実家の蒲生の父親が鍛冶屋を営む傍ら青果を扱い、加治木の市場に出向いて仕入れをしていたこともあり、また、店主も父親を手伝って国分の市場に出向き仕入れを手伝った経験から、確信を持てたとのこと。

創業当初から青果と花を扱う小売り100%のお店・フラワーフルーツは、玉里団地の奥様方に固定客が多く、夕方の買物のついでに、近くの坂元墓地にお墓参りするための花を求めるお客などで賑わう。

「お盆、正月、お彼岸など青果物は勿論のこと、特に花の売れ行きがぐんと伸びるので助かります」とのこと。現在の平均的な売上は花が3割、野菜・果物で7割を占め、次期によっては花が5割前後になる模様。

「創業時は、3番目のご子息が生まれ、0歳の3男を背中に背負い、2歳、4歳の息子を育てながらの青果業への挑戦でした」とのこと。

奥様が鉢花の売買参加の資格を取得し、花全体の仕入れを担当。店主は鹿児島市の青果食品協同組合員として中央卸売市場の売買参加の権利を15年前に取得し、青果物の仕入れを担当。

店主は奥様と同じく会話がうまく、楽しく会話が弾む元気な店・フラワーフルーツ店内をフットワークよく動き回り、一人ひとりのお客様としっかりとコミュニケーション! そのバイタリティーは、「建設・土木業界で鍛えぬいたスピリッツと現場監督としての責任感などが根底にあるのかもしれませんね」と、店主の笑いも豪快。

永年青果業を営んできて一番嬉しいことと言えば、店主、曰く「フラワーフルーツのあの品は美味しかった! 花がながく持った! など、お客様から感謝され、近隣の奥様同士が口コミで美味しさなどを伝え合い、話題になった品を買い求めて来られるとき!」 。

「かつての繁盛期は、5~6人で1人年間1000万円くらいの売上があったものの、現在は3人でお店を維持し、年間売上も1人当たり3割くらいは減っています」。

店主の日々の元気の源はと問えば、「1週間に1回、自ら所有する船で行く錦江湾での大好きな釣りで、たまに5キロ前後の大きな鯛を釣り上げたりすることで、日々の元気を回復しています。他の趣味はバイクを駆って九州管内を巡るツーリング。この2つの息抜きが私の元気回復の源泉!」とのこと。

朝5時半に起床し「旬の青果や花を、いち早くお客様に提供し、喜んでもらう」ということにこだわる店主と奥様。店主は釣り上げた魚を料理することは得意でも、野菜全般の料理法をお客様にしっかり伝えられるほどのソムリエ的なアドバイスを提供できるようになるのが念願であり、課題のよう。

最後にお店のこだわりは何かと問えば奥様、曰く「新鮮なもの、長持ちするものにこだわり、できるだけ多品種を少しずつ仕入れて、できるだけその日のうちに完売するように努めています」。

青果物など特に「本日仕入れ」の札表示を掲げ、お客様とのオープンな会話の中で「いいもの、美味しいもの、仕入れてみたが見た目ほど美味しくないもの」などをさりげなく伝え、顧客との心の通ったコミュニケーションを第一とするフラワーフルーツの店内は、明るさと元気な会話で溢れていました。