「今年はチマキを多い月で、1000本売りました!」
そう語るのは、男盛りの有水ストアー店主有水昌美さん。
青果物の納め業務の合間に、忙しいときには母上の手も借りて、チマキ製造・販売が好評を博し、今年3月~7月の5ヶ月の間、多い月で1000本を超す売れ行きを見せた。
息子の新しい商いの手助けについつい気合が入りすぎた母上は過労でダウンして、猛暑が続く間、千葉の弟さん宅などで療養に専念。
店主昌美さんは、元来米屋を商ってきた有水家の御曹司なので、正月のころの餅の製造・販売はすでに手がけては来たものの、チマキ作りにチャレンジしたのは昨年54歳の時で、通常小売りのチマキの倍くらいのボリュームある有水ストアーのチマキは、青果食品協同組合食品部売店ほか、組合仲間の店頭でも飛ぶように売れた。
昌美さんも、この5ヶ月で7~8キロは痩せたとのことで、チマキ製造の部屋はサウナそのものだった模様。今年の異常な暑さの中でのチマキ作りとの格闘はそれこそ凄まじいものだったと語る。
前日夜にもち米を灰汁に漬け、竹の皮を洗って湿し、翌早朝5時~7時までは青果市場での納め物の仕入、車で荷を運び帰った後、火入れをしてから、青果物の納めの仕分け作業と納め業務。出来たチマキが冷めたころを見計らって午後からチマキの配達に回る日々が続く。
「お客様の喜ぶ顔が見たくて、どんな工夫をすればお客に喜ばれるかをいつも考えています。チマキも市中にないようなものをと、味はもちろんのこと圧倒的ボリュームに力点を置きました!」と語る店主・昌美さん。
昌美さんは、鹿児島大学に入学すると同時に18歳から父親の青果業を手伝い始め、卒業後自動車会社に3年間勤めた後、父上が病に倒れたのを機に実家の青果業を手伝うようになり、それから5年ほど父上とともに青果業を商う。
昌美さんが大学に通う当時、父上は手広く4店舗ほど経営しており、競り権は有せず仲卸さんからの仕入れで商い、2代目昌美さんが32歳のとき父上名義で競り権を取得。
全盛時代の有水ストアー全店で1億円ほどの小売りの売り上げがあり、従業員も7~8人くらい働いていたという。
やさしいおっとりタイプの父上は、有水家代々の本家の米屋を継がず、主に青果を商う食料品ストアーを起こしたが身内の保証問題などで財政難に苛まれ、62歳で他界。
2代目昌美さんの青果業人生37年間のうち、当初は小売り100パーセントの青果商として活躍。20年くらい前、中央卸売青果市場の競り権取得を機に、納め物主流の青果商に業態転換!
3年くらい前から中央卸売青果市場内では、24時間いつでも『前取り仕入』ができるようになり、納め物専業としては効率のよい時間帯での仕入れと配達が可能となった模様。
さらに、店主昌美さんは餅の製造販売、昨年からはチマキの製造販売までチャレンジ!
「還暦を迎えるまでのあと5年間は、中央市場で納め物用の一級品の青果物を仕入れながら、いろいろ商品開発にも創意工夫を重ねつつ、どうすればお客様に喜ばれるかということだけをひたすら追究し、それが自らの喜び、つまり売り上げに少しでも繋がる努力をしたい!」と語る昌美さんの気力はさらに漲るばかり!
10数社ほどあるクライアント先に勤めておられる従業員さんやパートさんたちも有水ストアーの重要なお客様になっていただいているとのことで、お客様に喜んでいただくための営業トークや販路開拓にも余念がない。
月2回ほどの日曜日のみの休みで、お盆・正月すべて返上して青果物の納め物などに挑む昌美さんの原動力の一つは、当時の父上の無念な思いを自らが還暦を迎えるまでに自らの手で何とか払拭したいという気概もあるようだ。
また、店主昌美さんは九州青果食品小売商組合連合会の青年部会長を務め、年3回のイベント(総会、役員会、産地研修)の準備に追われながら、九州全体の青年部がまとまり何か元気の出る新しい事業ができないものか、模索中!
男盛りの青果商として、鹿児島から九州全体にますます『元気発信!』を続け、活躍してもらいたい組合員のお一人です!